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ほうき

昔の日本人の、神様との付き合い方

月収を上回る宗教講座の受講が終わりました。ユーラシア大陸を西から進み、キリスト教⇨イスラム教⇨ヒンドゥー教⇨儒教/仏教⇨神道とザッと学び終わりました。予定していたわけではないですが、締めとして頭に書き残しておきたかったのが「日本固有の思想」。

今後、部分的な知識を体系的に取り込んでいくための、ダイナミックな知識しか得ていませんが、自分なりの理解を書き残し、復習としたいと思います。

日本の「神」との古き関係は、世界のそれらとは随分違いました。キリスト教では、人は創造物で所有物でした。日本はもっと親しげです。言い切るなら、親子。所有物ではなく、神が「産んだ」人。

しかも神は1人じゃない。たくさんどころか、全員並ばせきれないんじゃないかな。八百万の神、の言葉通り「アッチにも、コッチにも」でした。出し惜しみなし。

で人間的。岩戸に隠れてしまうし、怒って殺生しちゃうし、奥さんのグロさにびっくりして逃げちゃうし。日本人の神への捉え方が、ずいぶん短絡的で、おおらかに感じました。

で、紹介されていたのが画像の図。箒を逆さにしてほっかむりを被せる。これ家に飾るらしいのですが「(お客さん)帰って下さい」っていうメッセージなんですね。つまり、日本人は(帰って欲しくても)客を「もてなす」民族性がある、と導き出せるのですね。日本人は、神様ももてなした。それがお祭り。火を囲んだり、踊ったり、供えたり、相撲をとったり。神は、遠方からの客であり、もてなして帰ってもらうというお付き合いがあるのですね。人間的。

ただ、箒神なるものがいたり、銅鏡に宿らせたり、神棚もあったり、神との接し方もずいぶん多様なようですが。

ぜひ、書いておきたいのが、仏教伝来との兼ね合い。6世紀半ばごろ(聖徳太子のころ)、仏教を中国より受け入れて、日本人の日常的意識は、土着の神との兼ね合いをどうしたか。八百万の神とまとめてしまったとのこと。神はどこにでもいるから、その中に仏をいれてしまった。神=仏ということ。これは、本来の仏教からすればありえないこと。仏は、神じゃない。人が悟って辿りつく理想像。仏教における神は仏とは別の存在。もう一つ。本来の仏教において、植物や無機物は仏に成り得ない。仏教の教えでは、生き物は輪廻する。人、動物、虫。これらを有情という。植物や無機物は「無情」と区別され、輪廻の輪に入っていない。しかし日本の神は、土にも草にも風にも月にも、万物に宿る。うーん、アバウトだね、日本人。

「アレもコレも」。

あとから買い足した本に、日本人の宗教との付き合い方について、そんなフレーズが書かれていました。

まったく一貫性の見当たらない日本宗教の歴史にちょっとガッカリだったのですが、「アレもコレも」のフレーズに何だか嬉しくなりました。その一貫性を離れる姿勢自体が、特長か。まあ、いいんじゃない、こんなんで? みたいな。

きちんと、古事記と日本書紀を読みたいと思います。

近代も習ったのですが、儒教や仏教が関わってくるので、今日はここまでにします。それでは。

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以前も紹介しました。世界の宗教がダイナミックに紹介されており、様々な社会事象を理解する、良い補助線になるかと。読み物としても面白いです!

「アレもコレも」のフレーズがあった本です。見開き2ページごとに一つのこと、と各項に分けてあって、興味のある宗教や出来事からつまみ食いができます。良き資料でした。コラムっぽいのもあって、「ほっほー」という感じです。


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